報道関係の方へ
kuma インタビュー「驚」(全7回・47問)の短縮版と、転載のための情報。
kuma(杲)
美術家。1971年ロンドン生まれ、フランス育ち。2008年に京都へ移住。現在は嵐山にほど近い山あいの村、水尾に暮らす。kumado.net
書の間(shonoma)
「書の間」では、スマートフォン、タブレット、パソコンなどのブラウザで楽しめる、書のためのさまざまな道具を制作し、一つのサイトにまとめている。shonoma.com
インタビュー全文
クレジット
kuma「kuma インタビュー 漢字に驚く毎日」 kuma@kumado.net / shonoma.com https://shonoma.com/interview/ CC BY 4.0
抜粋の場合は「原文より抜粋」、翻訳の場合は「原文を翻訳」と書き添えてください。
短縮版(12問)
書は、どのようにしてあなたの人生に入ってきたのですか。
アルファベットの文化で育った私は、ずっと強い劣等感を抱いていました。漢字は魔法の記号のようでもあり、込み入った暗号のようでもありました。そこに美しさがあることは感じとれるのに、自分には手が届かない。
入口は一冊の本でした。ハイジックの『Remembering the Kanji』です。京都に来てから、最後までやり通そうと決め、六か月かけて、一日も休まずに取り組みました。ありがたいのは、形の構造が見えるようになることです。漢字がどんな部品でできていて、その部品がどう組み合わさっているのかがわかる。すると、いばらの茂みに見えていたものが、いつのまにかレゴに変わっているのです。
王羲之こそ、歴史にもっとも大きな足跡を残した創造者だ、とまでおっしゃいますね。
王羲之の書風は、いまではアジア全体の、意識されることのない暗黙の基準になっています。並はずれた天才です。私たちが世界を感じとり、知覚する仕方をかたちづくり、同時に、私たちが生み出すものにも、知らず知らずのうちに組み立ての規則を与えているのですから。それで、人類の文明の歴史でもっとも大きな影響を与えた人、芸術家、創造者は誰だと思うか、とよく人に尋ねるようになりました。たいていの人は、バッハ、あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと答えます。でも私は、王羲之だと思うのです。
その規則とは、どのようなものですか。
王羲之の書風の組み立ての規則で、もっとも基本的なもののひとつは、対称が生まれそうになるたびに、それをくずすことです。一本の横画を引くときも、西洋人のようにただ平らな線を引くのではありません。筆は少なくとも四度、対称をくずします。
世界のすべてを表すために、できるかぎり対称をくずす。この基本の規則は、おそらく西洋人をいちばん戸惑わせるものです。けれどもこの規則こそが、書に生きた揺らぎをもたらし、その動きの中に、ひろがっていく不完全さの感覚を与えるのです。止まっていない、西洋の文字のように固まっていない、踊っている何か。
この規則に、流れ、調和、ほどよい釣り合い、そして線と余白のあいだの呼吸を合わせると、書の基本となるひとつの文法ができあがります。それが見えるようになると、アジアの、とりわけ京都の、身のまわりのあらゆるものの中にその文法が見つかります。建物(南禅寺の三門)にも、屋根の形にも、庭師が手を入れた木々、とくに松の姿にも。焼き物にも、膳への器の置き方にも、器への料理の盛りつけにも。そして着物にも。
書にも、行き詰まりはあるのでしょうか。
これは日本だけの問題でも、現代だけの問題でもありません。どの時代にも、中国にもあったことです。書は二つの落とし穴にはまりがちです。
ひとつは、昔の書風をほとんどそのまま再現することです。書がほとんど写しになってしまう。求められるのは技術の完璧さであって、書風の個人的な表現ではありません。
二つ目の落とし穴は、そのわだちから抜け出そうとして反対側に振り切ってしまう、ごく少数の書家たちに見られます。すべての規則を壊してしまうのです。書の美しさは、本来ジャズと同じです。規則の中で、共有された世界の中で、新しい形を見つけ、その形と遊ぶ力。名人芸を見せるためではなく、気持ちを、そして世界を表すために。
書くとき、いちばん心を動かされるのは何ですか。
書の鍵のなかで、私がとくに惹かれるもののひとつが、間(ま)です。間合いの技、空間の技であり、その間が生きているということ。基本の形の稽古を重ねるうちに、白が黒とほとんど同じくらい大切だと気づきました。ある字がうまく書けないとき、自分の線を見るかわりに、線と線のあいだの空白を見るようになったのです。
大文字については?
パリの象徴がエッフェル塔なら、京都の象徴は大文字です。私は十五年間、吉田山の、窓から大文字が真正面に見える家に住んでいました。
京都の象徴がひとつの文字を刻んだ山であること、そしてそれが年に一度、お盆に魂を空へ送る送り火の夜に、生きた文字になることは、けっして偶然ではないと思います。人の形をした文字が、山の上で、夜の闇の中、火となって、年に一度、神秘的に、生き生きと、魔法のように、聖なるものになる。
書の間(shonoma)は、どのように生まれたのですか。
いくつものモジュールをもつサイトとしての書の間は、一度に生まれたのではありません。2008年から日本で過ごしてきた時間の、ひとつひとつの発見と驚きの積み重ねなのです。
書の間は、おひとりでつくっているのですね。
はい、この企画は私ひとりでやっています。そして、人に知らせることは得意ではありません。試してみて、感想を聞かせてくださる方を見つけたいと思っています。少しずつ道具を磨き、もっとよいものにしていくために。どんな応援も、どんなお力添えも、ありがたく受けとめます。
日本の小学校には、ライセンスを無料で提供していますね。なぜですか。
大人になってから、子どものようにいろいろな形や道具や、日本の書の歴史のさまざまな要素を学ぶうちに、書には、遊びながら、美しく、心をはずませて学べるやり方があるのだと気づきました。それで、字を習いはじめたすべての子どもたちにこの道具を知ってもらいたいと考え、この無料ライセンスの仕組みをつくりました。
デジタルの道具は、筆で書く助けになるのでしょうか。
ピアノをつくる人は、音楽をつくるのでも、音楽家をつくるのでもありません。道具は、芸術をつくるために使われるものです。ある書風で書く腕前がなくても、その書風の美しさに心を動かされることはできます。腕前の巧拙は、感動を感じとる力とも、それを表す力とも、関係がありません。
なぜ、漫画に描かれた家族なのですか。
モジュールが増えてきたころ、試してくれた知り合いたちは、書にかかわりのある人でさえ、みな同じことを言いました。機能が多すぎて怖くなる、というのです。
そこで、何ができるのか、それぞれの道具が実際に何に使えるのかを目で見てわかるように、ひとつの家族のいろいろな使い手を漫画で描くことにしました。私がめざしているのは、戯画化された人物ではなく、本当の人柄をもった、愛すべき人物たちをつくることです。それも、ただ書の間を宣伝するためではなく、私の愛する書の美しさのさまざまな面を描くために。
結局、書の間は何のためにあるのでしょう。
驚きに、魔法に、日本の書の美しさの、ほかにない深さに、ふたたびふれるためです。
驚(短縮版) kuma インタビュー 漢字に驚く毎日 ――書は、どのようにしてあなたの人生に入ってきたのですか。 アルファベットの文化で育った私は、ずっと強い劣等感を抱いていました。漢字は魔法の記号のようでもあり、込み入った暗号のようでもありました。そこに美しさがあることは感じとれるのに、自分には手が届かない。 入口は一冊の本でした。ハイジックの『Remembering the Kanji』です。京都に来てから、最後までやり通そうと決め、六か月かけて、一日も休まずに取り組みました。ありがたいのは、形の構造が見えるようになることです。漢字がどんな部品でできていて、その部品がどう組み合わさっているのかがわかる。すると、いばらの茂みに見えていたものが、いつのまにかレゴに変わっているのです。 ――王羲之こそ、歴史にもっとも大きな足跡を残した創造者だ、とまでおっしゃいますね。 王羲之の書風は、いまではアジア全体の、意識されることのない暗黙の基準になっています。並はずれた天才です。私たちが世界を感じとり、知覚する仕方をかたちづくり、同時に、私たちが生み出すものにも、知らず知らずのうちに組み立ての規則を与えているのですから。それで、人類の文明の歴史でもっとも大きな影響を与えた人、芸術家、創造者は誰だと思うか、とよく人に尋ねるようになりました。たいていの人は、バッハ、あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと答えます。でも私は、王羲之だと思うのです。 ――その規則とは、どのようなものですか。 王羲之の書風の組み立ての規則で、もっとも基本的なもののひとつは、対称が生まれそうになるたびに、それをくずすことです。一本の横画を引くときも、西洋人のようにただ平らな線を引くのではありません。筆は少なくとも四度、対称をくずします。 世界のすべてを表すために、できるかぎり対称をくずす。この基本の規則は、おそらく西洋人をいちばん戸惑わせるものです。けれどもこの規則こそが、書に生きた揺らぎをもたらし、その動きの中に、ひろがっていく不完全さの感覚を与えるのです。止まっていない、西洋の文字のように固まっていない、踊っている何か。 この規則に、流れ、調和、ほどよい釣り合い、そして線と余白のあいだの呼吸を合わせると、書の基本となるひとつの文法ができあがります。それが見えるようになると、アジアの、とりわけ京都の、身のまわりのあらゆるものの中にその文法が見つかります。建物(南禅寺の三門)にも、屋根の形にも、庭師が手を入れた木々、とくに松の姿にも。焼き物にも、膳への器の置き方にも、器への料理の盛りつけにも。そして着物にも。 ――書にも、行き詰まりはあるのでしょうか。 これは日本だけの問題でも、現代だけの問題でもありません。どの時代にも、中国にもあったことです。書は二つの落とし穴にはまりがちです。 ひとつは、昔の書風をほとんどそのまま再現することです。書がほとんど写しになってしまう。求められるのは技術の完璧さであって、書風の個人的な表現ではありません。 二つ目の落とし穴は、そのわだちから抜け出そうとして反対側に振り切ってしまう、ごく少数の書家たちに見られます。すべての規則を壊してしまうのです。書の美しさは、本来ジャズと同じです。規則の中で、共有された世界の中で、新しい形を見つけ、その形と遊ぶ力。名人芸を見せるためではなく、気持ちを、そして世界を表すために。 ――書くとき、いちばん心を動かされるのは何ですか。 書の鍵のなかで、私がとくに惹かれるもののひとつが、間(ま)です。間合いの技、空間の技であり、その間が生きているということ。基本の形の稽古を重ねるうちに、白が黒とほとんど同じくらい大切だと気づきました。ある字がうまく書けないとき、自分の線を見るかわりに、線と線のあいだの空白を見るようになったのです。 ――大文字については? パリの象徴がエッフェル塔なら、京都の象徴は大文字です。私は十五年間、吉田山の、窓から大文字が真正面に見える家に住んでいました。 京都の象徴がひとつの文字を刻んだ山であること、そしてそれが年に一度、お盆に魂を空へ送る送り火の夜に、生きた文字になることは、けっして偶然ではないと思います。人の形をした文字が、山の上で、夜の闇の中、火となって、年に一度、神秘的に、生き生きと、魔法のように、聖なるものになる。 ――書の間(shonoma)は、どのように生まれたのですか。 いくつものモジュールをもつサイトとしての書の間は、一度に生まれたのではありません。2008年から日本で過ごしてきた時間の、ひとつひとつの発見と驚きの積み重ねなのです。 ――書の間は、おひとりでつくっているのですね。 はい、この企画は私ひとりでやっています。そして、人に知らせることは得意ではありません。試してみて、感想を聞かせてくださる方を見つけたいと思っています。少しずつ道具を磨き、もっとよいものにしていくために。どんな応援も、どんなお力添えも、ありがたく受けとめます。 ――日本の小学校には、ライセンスを無料で提供していますね。なぜですか。 大人になってから、子どものようにいろいろな形や道具や、日本の書の歴史のさまざまな要素を学ぶうちに、書には、遊びながら、美しく、心をはずませて学べるやり方があるのだと気づきました。それで、字を習いはじめたすべての子どもたちにこの道具を知ってもらいたいと考え、この無料ライセンスの仕組みをつくりました。 ――デジタルの道具は、筆で書く助けになるのでしょうか。 ピアノをつくる人は、音楽をつくるのでも、音楽家をつくるのでもありません。道具は、芸術をつくるために使われるものです。ある書風で書く腕前がなくても、その書風の美しさに心を動かされることはできます。腕前の巧拙は、感動を感じとる力とも、それを表す力とも、関係がありません。 ――なぜ、漫画に描かれた家族なのですか。 モジュールが増えてきたころ、試してくれた知り合いたちは、書にかかわりのある人でさえ、みな同じことを言いました。機能が多すぎて怖くなる、というのです。 そこで、何ができるのか、それぞれの道具が実際に何に使えるのかを目で見てわかるように、ひとつの家族のいろいろな使い手を漫画で描くことにしました。私がめざしているのは、戯画化された人物ではなく、本当の人柄をもった、愛すべき人物たちをつくることです。それも、ただ書の間を宣伝するためではなく、私の愛する書の美しさのさまざまな面を描くために。 ――結局、書の間は何のためにあるのでしょう。 驚きに、魔法に、日本の書の美しさの、ほかにない深さに、ふたたびふれるためです。 構成:書の間 shonoma 2026年10月7日、水尾にて kuma インタビュー クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際(CC BY 4.0):「kuma@kumado.net / shonoma.com」と明記すれば、自由に転載できます。 https://shonoma.com/interview/
引用
「すると、いばらの茂みに見えていたものが、いつのまにかレゴに変わっているのです。」
――kuma(「驚」第1回より)
「書の美しさは、本来ジャズと同じです。」
――kuma(「驚」第3回より)
「デジタルは書をおびやかすものではなく、反対に、その営みを広める道具にもなりうるのです。」
――kuma(「驚」第5回より)
「驚きに、魔法に、日本の書の美しさの、ほかにない深さに、ふたたびふれるためです。」
――kuma(「驚」第7回より)
転載について
kuma インタビュー クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際(CC BY 4.0):「kuma@kumado.net / shonoma.com」と明記すれば、自由に転載できます。
本文とは異なり、写真・書・イラスト・スクリーンショットは CC BY 4.0 の対象外です。ご利用の際は、事前に press@shonoma.com までご連絡ください。記事に使う肖像や写真が必要な場合も、ご連絡ください。
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