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kuma インタビュー 漢字に驚く毎日
1971年ロンドン生まれ、フランス育ち。2008年に京都へ移住し、現在は嵐山にほど近い山あいの村、水尾に暮らす。「書の間」では、スマートフォン、タブレット、パソコンなどのブラウザで楽しめる、書のためのさまざまな道具を制作し、一つのサイトにまとめている。
https://www.kumado.net/
構成:書の間 shonoma 2026年10月7日、水尾にて
第1回 書への入口
――書は、どのようにしてあなたの人生に入ってきたのですか。
アルファベットの文化で育った私は、ずっと強い劣等感を抱いていました。私たちの文字は数がわずかで、見た目にも乏しい。漢字を使えるのは、すぐれた精神の持ち主だけ、より洗練された、より知的な文化だけなのだ、と感じていたのです。漢字は魔法の記号のようでもあり、込み入った暗号のようでもありました。そこに美しさがあることは感じとれるのに、自分には手が届かない。
ですから私の中には、恥ずかしさと、その世界に入っていきたいという強い願いとが、同時にありました。そして、自分には難しすぎるのではないか、という思いも。
入口は一冊の本でした。ハイジックの『Remembering the Kanji』です。フランス語版はマニエット社から『Les kanji dans la tête(頭の中の漢字)』という題で出ています。日本に来る前に注文していたのに、怖くてひらけずにいました。京都に来てから、最後までやり通そうと決め、六か月かけて、一日も休まずに取り組みました。これまでの人生で、いちばん大きな暗記の努力のひとつです。この本では、自分に小さな物語を語って聞かせながら、楽しく漢字を覚えていきます。何よりありがたいのは、形の構造が見えるようになることです。漢字がどんな部品でできていて、その部品がどう組み合わさっているのかがわかる。すると、いばらの茂みに見えていたものが、いつのまにかレゴに変わっているのです。
この本と、Anki というソフトがなければ、私は漢字を覚えられなかったでしょう。そして漢字を知らなければ、書を味わうことはできません。
つまり、書への最初の一歩は、表意文字の内側にある、細胞のような仕組みに分け入ることでした。文字がどのように物語を語り、現実の世界からとられた形とどう結びついているのか。世界と文字とのこのつながりに気づくと、大きな喜びが生まれます。世界をかたちづくる、細胞や原子のような象徴の単位に、じかにふれている気がするからです。その美しさの力は、言葉では言いつくせません。
――では、筆を持つようになったのは?
二つ目の段階は、家からそう遠くない小さな書道教室の扉を、思い切って開けることでした。大きな町ならどこでもそうですが、どの界隈にも、子どもに書道を教えているおばあさんがいます。買い物の行き帰りに、花をたくさん飾った小さな家の看板の前をよく通りました。書道教室だということはわかっていました。けれども当時の私の日本語はまだたどたどしく、扉を開ける勇気はとても出ませんでした。何年かして、ようやく日本語が通じるようになってから、思い切ってその先生、村上先生に連絡しました。先生は快く迎え入れてくださり、私は日本の子どもたちと同じ基本の練習を、ひととおりすべてやりました。ひらがな、そして楷書の漢字の点画を、最初はとても大きな字で、一枚に一字ずつ。朱を入れていただくのが嬉しくて、毎日三十分をこの稽古にあてていました。
私がずっと惹かれてきたのは、ひらがなと行書の美しさです。楷書や草書には、それほど心が向きませんでした。
リンク
・『Les kanji dans la tête』(マニエット) https://maniette.fr
・Anki https://apps.ankiweb.net
第2回 王羲之、くずされた対称
――そうして王羲之(おうぎし)に出会ったのですね。
最初に浮かんだのは、私たちが手本にしている基本の書体、楷書はいったいどこから来たのか、という問いでした。その答えを探すうちに、王羲之と千字文に出会いました。なぜ王羲之の書風が主流になったのか。そして驚いたのは、何世紀ものあいだ書の手本、教本とされてきた千字文が、いまの書道では形の手本としてしか使われていないことでした。一字一字の形の美しさが、書き手の意図や言葉の意味と結びついておらず、手本はただ形の完璧さのためだけにある。私にはそれが理解できませんでしたし、いまも理解できません。もっとも千字文の文章は、つくられた当時からすでに難解でした。典故に満ちていて、何より、遠い昔の、ある時代の中国の歴史を下敷きにしているのです。
そこで私は、自分の勉強のために――私はそういうふうにしか学べないのです――形の美しさの稽古と、意味と結びついた美しさとを、ひとつにしたいと考えるようになりました。新しい千字文をつくろうと思い立ったのです。日本でも昔から新しい千字文をつくる試みがいくつもあったと知り、古本屋でそれを集めはじめました。そしていつか、自分の心に響く美しさをもとに、自分だけの千字文をつくりたいと思ってきました。禅語の美しさ、そして和歌や能、茶の湯の世界にかかわるあらゆるものの美しさです。
――王羲之こそ、歴史にもっとも大きな足跡を残した創造者だ、とまでおっしゃいますね。
王羲之の書風は、いまではアジア全体の、意識されることのない暗黙の基準になっています。並はずれた天才です。私たちが世界を感じとり、知覚する仕方をかたちづくり、同時に、私たちが生み出すものにも、知らず知らずのうちに組み立ての規則を与えているのですから。文字の組み立てと、世界を知覚し感じとる経験、そして創造や芸術とのあいだにある、この強く、骨組みとなるようなつながりに、私は心を揺さぶられました。それで、人類の文明の歴史でもっとも大きな影響を与えた人、芸術家、創造者は誰だと思うか、とよく人に尋ねるようになりました。たいていの人は、バッハ、あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと答えます。でも私は、王羲之だと思うのです。
千字文をつくらせたとされる梁の武帝は、最後に王羲之の書風を選びました。もし武帝が、もっと幾何学的で奥行きのない書体を、あるいは逆にとても装飾的な書体を選んでいたら――そんなもうひとつの世界を想像することもできます。誰にとっても無意識の基準となったこの選択が、アジアと日本の美にふれるうえでどれほど大きな意味をもっていたか、私たちはまだ十分にわかっていないと思います。
――その規則とは、どのようなものですか。
王羲之の書風の組み立ての規則で、もっとも基本的なもののひとつは、対称が生まれそうになるたびに、それをくずすことです。一本の横画を引くときも、西洋人のようにただ平らな線を引くのではありません。筆は少なくとも四度、対称をくずします。古本屋で手書きの書道の手引き書を見つけたことがあるのですが、そこではこの一本の横画の運筆が、四つの季節に分けて描かれていて、本当に驚きました。
私はこの図を、自分の最初の音楽アルバムのジャケットに使いました。音楽も、この奥行きをよく伝えてくれます。西洋の音楽では、ひとつの音は旋律を組み立てる単位のひとつにすぎません。けれども尺八のような日本の音楽では、ひとつの音が旋律と同じ重みをもち、ひとつの音の深い揺らぎが、ひとつの世界をひらきます。私が尺八に、そして尺八の禅語「一音成仏」――ひとつの音で仏になる――に惹かれるのは、そのためです。書で言えば「一筆成仏」――一筆で仏になる――でしょうか。
世界のすべてを表すために、できるかぎり対称をくずす。この基本の規則は、おそらく西洋人をいちばん戸惑わせるものです。けれどもこの規則こそが、書に生きた揺らぎをもたらし、その動きの中に、ひろがっていく不完全さの感覚を与えるのです。止まっていない、西洋の文字のように固まっていない、踊っている何か。永遠や幾何学や対称にとらわれてきた西洋人にとって、対称をくずすという規則は、はじめはほとんど不安をかきたてるものです。それでも、ひとたびそれを規則として見てとれば、果てしなく深く、胸の躍るものになります。西洋の偉大なピアニストたちもまた、ただひとつの音でひとつの世界をひらくことができるのですから。
この規則に、流れ、調和、ほどよい釣り合い、そして線と余白のあいだの呼吸を合わせると、書の基本となるひとつの文法ができあがります。それが見えるようになると、アジアの、とりわけ京都の、身のまわりのあらゆるものの中にその文法が見つかります。建物(南禅寺の三門)にも、屋根の形にも、庭師が手を入れた木々、とくに松の姿にも。焼き物にも、膳への器の置き方にも、器への料理の盛りつけにも。そして着物にも。
――その規則は、なぜそれほど深いのでしょう。
私が夢中になっている問いは、王羲之の書風の規則が、なぜこれほど深く力強いのか、ということです。私なりに組み立てた仮説が二つあります。アジアの書の組み立ての規則は、二つの世界を同時に写しとっているのかもしれません。
ひとつ目は、自然の形の世界です。森や山を歩くと、まわりの形の組み立ての規則が、書のそれとよく似ていることに気づきます。たとえば宇宙空間で育つ木があったとしたら、重力も、季節や動物や風の影響も、谷か平地か、どちらを向いているかという場所の条件も受けないので、同じ形にはならないでしょう。木には成長の内なる規則がありますが、その対称はくずされ、それぞれの来歴と場所に合わせて、しなやかに変えられていきます。そして木々は互いに調和しています。近すぎても遠すぎても育たない。有機的であること、間をとること、流れ、対称のくずれ。同じ規則が、自然の中にもあるのです。だからアジアの書の美しさには、作りものでないという感覚があり、それは詩の体験の核心にとても近い。象徴が、自然の現実を、手でふれられる形に写したものになるのです。
詩といえば、それが二つ目の写しにつながります。詩は外の形を呼び起こすだけでなく、内なる形を表そうとします。王羲之の書風に見られる、アジアの書のこの二つ目の源について、私を惹きつけるのは、思考(言葉による思考はそのほんの一部にすぎません)と感情の内なる流れが、けっして対称ではない、ということです。話すときも、考えるときも、感じるときも、その流れは対称ではありません。かなで書かれた歌のように、ひとつのものから別のものへ、ひとつの細部から別の細部へと、内なる呼吸とともに移っていきます。
ですから、「アジアの美は、なぜこれほど美しく深いのか」という問いに対する私の答えは、それが二重の照応のなかで響きあっているから、というものです。私たちをとりまく自然との照応と、私たちの内側を流れるものとの照応。この二重の照応こそが、その非凡さと深さをつくっているのです。
この問いには、今年書いた小説『Comme le soleil dans le ciel(空にある太陽のように)』でもふれています。日本語訳もできていて、いま日本の出版社を探しているところです。
――長次郎の茶碗にも、その規則を見つけたのですね。
茶の湯を始め、自分でも茶碗をつくろうとして長次郎の茶碗にふれたとき、その天才に打たれ、同じような揺らぎをもつ茶碗をつくりたいと思いました。長次郎の茶碗の力強い美しさを解く鍵をくれたのは、書でした。その形は行草を、それも王羲之の行草を思わせるのです。このつながりに気づいたことは、ひとつの啓示であり、人に伝えなければならない使命のようにも感じられました。焼き物と長次郎の茶碗と書とのつながりについては、いくつか文章を書いています。
ただ、この美しさを感じとるには、まずそれが体の経験でなければなりません。腕の、手首の、目の、そしてそれらの連動と呼吸の経験です。このごく具体的な体の経験を重ねるうちに、私たちはやがて、目に見える形に写しとられたこれらの規則に、たどりつくのです。
リンク
・最初のアルバム https://www.kumado.net/album01/
・茶花山荘の床の間の前で尺八を吹く(動画) https://www.youtube.com/watch?v=KGuoXSQEZhg
・長次郎の茶碗と王羲之の行書についての覚え書き https://www.kumado.net/bols/notes/
・小説『Comme le soleil dans le ciel』 https://www.kumado.net/comme-le-soleil-dans-le-ciel/
第3回 かな、間、聖なるもの
――書にも、行き詰まりはあるのでしょうか。
これは日本だけの問題でも、現代だけの問題でもありません。どの時代にも、中国にもあったことです。書は二つの落とし穴にはまりがちです。
ひとつは、昔の書風をほとんどそのまま再現することです。書がほとんど写しになってしまう。求められるのは技術の完璧さであって、書風の個人的な表現ではありません。展覧会、とくに公募展で、同じ書風の作品がずらりと並んでいるのを見たとき、私は大きな衝撃を受けました。ひとりひとりの書き手の表現は、どこにあるのだろう、と。書で讃えられるのは、魂の表現なのではないでしょうか。
二つ目の落とし穴は、そのわだちから抜け出そうとして反対側に振り切ってしまう、ごく少数の書家たちに見られます。すべての規則を壊してしまうのです。けれどもそれは、共有された手がかりのない即興のようなもので、見る人は次を予想することも、変化を味わうこともできなくなります。書の美しさは、本来ジャズと同じです。規則の中で、共有された世界の中で、新しい形を見つけ、その形と遊ぶ力。名人芸を見せるためではなく、気持ちを、そして世界を表すために。
――書くとき、いちばん心を動かされるのは何ですか。
書の鍵のなかで、私がとくに惹かれるもののひとつが、間(ま)です。間合いの技、空間の技であり、その間が生きているということ。基本の形の稽古を重ねるうちに、白が黒とほとんど同じくらい大切だと気づきました。ある字がうまく書けないとき、自分の線を見るかわりに、線と線のあいだの空白を見るようになったのです。
私はずっと、この間の釣り合いに、ひとつの字の中の線の調和に、そして紙面全体の調和に、とても敏感でした。ミクロとマクロの二重のズームと、その二つの有機的なつながりに。たとえば、落款印をどこに押すかという問題には、昔から心を惹かれてきました。自分でもうまく説明できないのですが、いろいろな形を調和させる感覚が、私にはあるようです。写真を撮り、構図を決めてきたことと関係しているのかもしれません。絶対音感をもつ音楽家のように、書ができあがって、さて印をどこに押すかというとき、私にはすぐにその場所がわかります。書家の方々や日本の知人からどこに押せばいいかとよく聞かれ、私はその場所をぴたりと指さすのです。
――変体仮名、百人一首のかるた……
日本の書で私がした、いちばん美しい発見のひとつは、変体仮名です。とくに百人一首で、遊ぶときに札が見分けにくくなるように使われていることには、目をみはりました。
私は京都の蚤の市で見つけたいろいろなかるたをもとに、百人一首を訳し、一冊の本をつくりました。とくに手書きのかるたからは、家庭の習わしが見えてきます。お正月にかるたで遊ぶとき、家族の中で書をたしなむ一人が、みんなのために札を書いていたのです。変体仮名で遊ぶだけではありません。何より――これを見つけたときは本当に嬉しかった――札の上の文字の配置で遊び、言葉の順番さえ必ずしも守らない。言葉と制約と、記号や象徴の変形で遊ぶこの遊びは、私がフランスにいたころに開いていた、ウリポに影響を受けた言葉遊びの会を思い出させます。
――かなの起源については?
書の美しさの中で、いまも私を惹きつけてやまないのが、ひらがなとその起源です。日本の歴史の中でも、空海はとても興味深い人物です。ある言い伝えでは、ひらがなは空海がつくったとされています。ここでも私は、ひとつの伝統を創始した人、という問いに出会います。日本の歴史には、伝統を壊し、別の伝統を生み出すことを自らに許した人物が何人もいます。
その一方で、カタカナには、どうにも抑えがたい苦手意識があります。優雅さを感じることができないのです。いつか天才が現れて、カタカナに新しい、美しい書風を見つけてくれたらと願っています……。
――ほかにも、惹かれる書があるそうですね。
いま空海の話をしましたが、書と仏教の僧とのつながりは本質的なものです。漢字においては、聖と俗をはっきり切り離すことができないかのようです。書が、その二つのあいだの門であるかのように。仏教では三門、神道と日本の象徴の世界では鳥居がそれにあたります。千日回峰行をなしとげた阿闍梨の苦行の姿にふれ、そのオーラと力を感じたあとで、その阿闍梨の書を見ると、たとえ書を専門とする人でなくても、線に手の跡が残っていることがわかります。書がただの文字の体系ではなく、聖なるもの、象徴を超えた次元のよりどころになりうることを、それは示しています。そう思うと、茶席に掛ける一行物も、違って見えてきます。
もし千字文が王羲之の書風でなかったら、どんなもうひとつの世界がありえたのか。それを想像させてくれる書風が、日蓮のものです。西洋の秘教的な魔術書を思わせる、棘のような書です。
聖なるものから少し離れて、書のほかのかたちに目を向けると、蚤の市や古本屋で見つかる浄瑠璃の床本の書きぶりや、うっとりするほど美しい謡本の書きぶりに、すっかり魅了されます。尺八など伝統音楽の譜が、筆で書かれていることにも。古本屋には古い書道の手本や、女性のための手紙の手本、女手の手本もいろいろあって、私はそれがずっと好きでした。男らしさと女らしさ、色気や力強さ。ひと目でわかるそうした違いに、目が引きつけられるのです。
万年筆で書く日々の文字も(日本のメーカーの見事な仕事とともに)、私にとってはいまも大切なものです。有田幸正さんの『上品な字の書き方』には、いまも深い愛着があります。
――般若心経については?
もっと日常の、いまも生きている美しさが、般若心経です。とくに四国の八十八か所を巡ると、人々がいまも般若心経を書き、仏前に納めている姿を目にします。京都には、般若心経を写経できる雲龍院というお寺があります。写経のあいだは、口を清めるために丁子を口にふくみます。それ以来、般若心経は私の中で、あの味と結びついています。漢字を書いた紙を仏像の前に納めるという美しさ、聖なるものとのこのつながりに、私は深く心を動かされます。西洋で同じようなものを想像するのは難しいでしょう。西洋では、文字がそうした力を担っていないのです。
――どんな形式に心を動かされますか。
日本の書には、私を惹きつける形式がいくつもあります。まず短冊です。紙そのものの美しさがあり、その形式が、和歌という日本独自の詩の形と、かなという日本の書ならではの美しさと、結びついています。
そして色紙。平安時代の色紙を集めた展覧会のことは、いまもはっきり覚えています。色の違う紙を切って継いだ、とても小さな作品の数々。色の取り合わせ、色の調和というきわめて日本的な仕事が、かなの書の細やかな形の優雅さと合わさっていて、私はずっとそれに心を奪われてきました。
ついでに言えば、かなのための紙、墨、筆があると知ったことも、大きな喜びでした。京都の古梅園に行って、かなのための墨や紙や筆があること、それを使うと線で表せるものがまったく変わることを、はじめて知ったのです。嬉しいと同時に、手ざわりがあれほど心地よく、音があれほど上品な、薄く美しい紙の一枚の値段を見て、震えあがりもしました。墨の香りも含めて、書は本当に、五感すべてで味わう芸術です。
――大きな作品については?
私が好きな、物としての書の美しさがもうひとつあります。掛軸に仕立てる大きな作品です。大きく書く、でも大きすぎずに。
書道パフォーマンスのように、体じゅうの力をふりしぼって人を驚かせる面には、私はまったく心が動きません。パフォーマンスへの私の批判は書に限ったものではなく、西洋のえせ現代アートにもあてはまります。それは今日の行き詰まりのひとつだと思います。書を書く時間は、人を驚かせたり見せつけたりするためのものではなく、もっと静かに心を澄ますものだと私は考えています。書を演出として見せることには、私個人はまったく興味がありませんし、それは書を道具として使うことであって、書そのものではないと思います。
その一方で、大きな字、たとえば三字か四字の大きな字を書くには、体全体を動かさなければなりません。床にじかに向かい、大筆や紙とかかわる中で、空間をそれまでと違ったふうに感じる。じっと座っているのではなく、体全体が動いている。そこにはとても強い経験があり、それはあとで小さな字を書くときにも、人の書を見るときにも生きてくると思います。踊りとしての書です。
こうした大きな作品は床の間に掛けるものですが――美のための祭壇を家の中にもつという床の間の考えは、ほかの文化にはまず見当たりません――そのためには表装して掛軸に仕立てなければならず、費用がかかるので、なかなか手がけられません。ところが京都駅の近くに津久間紙店という書道用品の店があって、とてもよくできた掛軸を売っているのです。大きさもいろいろで、自分の書を差し込んで磁石でとめられるようになっています。色もいろいろあるので、季節に合わせて掛けかえられます。これで書との関係がすっかり変わりました。費用を気にせずに、自分のさまざまな作品を床の間に掛けられるのですから。そうなると、大きく書いてみたくなります。
もうひとつの大きな形式で、こちらは本当に高価な、専門家のためのものが屏風です。本阿弥光悦の大きな屏風や、とても長い巻物(床の間ではひらききれない作品です)を、俵屋宗達の絵とともにはじめて見たときは、息をのみました。文字であるだけでなく絵でもある書。大きな夢です。
リンク
・百人一首の本 https://www.kumado.net/2021/03/17/sortie-de-hyakunin-isshu/
第4回 京都、茶、水尾
――なぜ京都に来たのですか。
よく聞かれるのですが、私には答えられないのです。いつも、それがごく自然なことのように感じていました。いちばん不思議なのは、はじめて京都を訪れたときから、そして京都を離れて戻ってくるたびに感じる「ただいま」という感覚、家に帰ってきたという感覚です。私は輪廻を信じていません。いまの人生が、昔の京都に生きた前世の続きだという説明は信じていないのです――それがいちばん単純で、いちばん楽で、いちばんロマンチックで、いちばん面白い説明だとしても。
京都は、過去のアジアのルーヴル美術館のようなものです。中国にはなかった、島国という条件に守られてきました。たとえば宋の美しさ。足利義政は徽宗皇帝に憧れていました。そこには時を超えた美と洗練の気配が、深い美しさがあって、私が育った西洋の美しさよりも、私にはずっと強く響きます。それはただ、私の内なる流れに、私が世界を感じ、知覚する仕方に、合っているだけなのかもしれませんが。
――大文字については?
パリの象徴がエッフェル塔なら、京都の象徴は大文字です。私は十五年間、吉田山の、窓から大文字が真正面に見える家に住んでいました。そして会う人ごとに尋ねていました。なぜこの字なのか、なぜ「大」なのか、何を表しているのか。いろいろな説がありますが、私が選んだのは、人生で何か大きなものをつくるように、大きく生きるように、という呼びかけだという説です。
けれども、京都の象徴がひとつの文字を刻んだ山であること、そしてそれが年に一度、お盆に魂を空へ送る送り火の夜に、生きた文字になることは、けっして偶然ではないと思います。人の形をした文字が、山の上で、夜の闇の中、火となって、年に一度、神秘的に、生き生きと、魔法のように、聖なるものになる。こうした要素のすべてが重なって、この京都の象徴を、アジアの書の力と美しさの象徴にもしているのです。
――その美しさを、どのように分かちあおうとしたのですか。
自分のペースで探っていく時間をもちながら、この美しさにふれる幸運に恵まれたので、それを分かちあう務めがあると感じました。そして分かちあうには、よくわかったうえで語れなければなりません。それで、この美しさを、そして互いにつながりあうあらゆる伝統芸術を学ぶことになりました。茶の湯を始めれば、書にも、それにまつわるあらゆる道具にも、関心をもたずにはいられません。
最初は写真集や随筆の本をつくって、この美しさを伝えようとしました。けれども、フランスでそれを語っても、ただの異国趣味で終わってしまうことに気づきました。この美しさの深さを伝えるただひとつの方法は、言葉によらない経験、たとえば茶の湯を通すことでした。
そこで日本の茶の湯のワークショップを始めたのですが、いちばん関心をもってくれた人たちでさえ、その先を続けられないことがわかりました。当時は――海外の抹茶ブームでいまは少し変わってきていますが――抹茶を飲む人もいなければ、茶の湯を知る人もいませんでした。何より、いちばん熱心な人たちでさえ、茶道具となる焼き物を手に入れることができなかった。茶碗をつくりたい陶芸家たちも、茶の湯のしきたりや、道具の形や寸法を知らなかったのです。そこで私は、自分の茶碗をつくるため、そして何よりその技術を伝えるために、焼き物を始めることにしました。見つけたことはすべて日誌に書き、オンラインで読めるようにしています。陶芸家が茶道具をつくれるように、レシピもこつも工夫もすべて。そうすれば、できるだけ多くの人が日本の茶の湯を、つまりその美しさを経験できるからです。
――そして水尾へ。
長いあいだ、とくに茶碗を通して、この道を歩いてきました。焼き物を始めると、いちばん美しい色や肌合いは、薪窯で焼くことから、あるいは自分で加減できる還元焼成から生まれることが、おのずとわかってきます。町なかの小さな電気窯では、それはできません。小さな薪窯をつくれる田舎の家を、何年も探しました。京都から車で二時間の範囲まで、北へ南へ東へ西へ、あらゆる方向を探しましたが、見つかりませんでした。そして、人生ではいつもそうですが、ほとんどあきらめかけたときに、いま住んでいる小さな村、水尾の家を、はじめは借りないかと、それから買わないかと勧められたのです。最初は、小さな薪窯をつくれる別宅にするつもりで改装しただけでした。ところがあまりに居心地がよくて――私には、ものをつくるための静けさが必要なのです――吉田の家を売りました。いまは水尾に住み、毎日、学ぶことと創ることに打ちこんでいます。私の愛するこの美しさを分かちあうために。
茶花山荘は、そのあとで手に入れた、私の家の裏手にある家です。私のさまざまな作品を展示する二つのギャラリーがあり、伝統の美にまつわる催し(演奏会、舞、講演、集まりなど)を開ける場所もあります。作品を展示したい書家の方々に使っていただける、生きた場所になればと願っています。
――いま、筆とはどう向きあっていますか。
何年か、たぶん二、三年は毎日稽古をしましたが、その後、少し離れてしまいました。本当は、行草の先生を見つけたかったのです。線の力をつける稽古を助けてくれて、線に意図をこめたいという私の願いもわかってくれる先生を。ほかの創作に時間をとられ、残念ながら、いまは十分に書けていません。また始めたいと思っています。
和漢朗詠集をめぐる書のコンクールを再開したのも、それが理由のひとつです。私が住む小さな村は清和天皇とゆかりがあり、その時代から一世紀半ほどのちに、藤原公任が和漢朗詠集を編みました。和漢朗詠集はほぼ千年のあいだ、二十世紀のはじめまで手本とされてきた本で、かなの稽古と、より中国的な書の稽古とをいっしょにできるという利点がありました。半分は自分を奮い立たせるため、あとの半分は、いっしょに遊び、競いあう仲間を見つけるために、私はこの企画を再開しました。wakanroeishu.org で見ることができます。いまは一年中、オンラインで、携帯電話で撮った作品の写真を送って応募できます。毎年の応募は11月15日に締め切ります。柚子の季節がはじまる日だからです。優勝者には、茶花山荘の柚子の木一本分の実が、まるごと贈られます。
書の稽古はもっとしたいのですが、小さな集まりで何人かでするほうが楽しい。互いに刺激しあうことで、またやる気が出ますから。
――彫刻については?
日本に来る前の、書にまつわるもうひとつの思い出があります。私はノルマンディー上陸作戦の浜のひとつ、オマハ・ビーチに面した小さな村に住んでいました。そこから数キロのグランカン=メジーに、中国の芸術家、姚遠(ヤオ・ユエン)の『平和の勝利』という像がありました。勝利の女神のような、勝利を祝う女性のような姿の金属の像で、それが立体の漢字でできているのです。当時の私はまだ書を知りませんでしたが、表意文字が空間の中で立体の形をもち、それによっていっそう命を帯びるという考えに、魅了されました。
漢字を立体にすること、漢字の彫刻をつくることに、私はずっと関心をもってきました。そのために3Dプリンターまで買ったのですが、一度も動いてくれませんでした。彫刻を始めてから、その方向でいくつか試みています。そのひとつが、三つの「玄」でつくった金属の彫刻です。金属でも木でも石でも、小さなものでも大きなものでも、これからもっと探っていきたい領域です。人の体のある動きと、ある漢字とが似ていることに、思いをめぐらせています。宙に止まった動きで、感情をとらえること。たとえば踊りの彫刻のように。
――なぜ「kuma」なのですか。
よく聞かれます。私の生まれたときの名前は、ステファン・バルベリ(stéphane barbery)です。焼き物を始めたころ、展覧会で自分の茶碗を見せるための名前がほしかった、それだけのことでした。フランス人がつくったものだと言わずに、文化的な出自ではなく、茶碗そのものの美しさで見てもらえるように。とても簡単な名前がほしかったのです。
西洋にも、地名からとられた筆名があります。スタンダールも、その一例です。そして、私がいまもフランスのアルプスにもっている家の名前は、フランス語で「熊の山小屋」という意味なのです。熊、つまり「くま」です。あの山小屋のあたりでは、もう百年以上、誰も熊を見ていません。私にとってこの言葉はまったく抽象的なもので、れっきとした地名であって、動物とは何の関係もありませんでした。簡単で、短くて、思わずほほえんでしまう名前です。
それがそのまま残り、ひとりでに定着しました。いまでは誰もが私を kuma と呼びます。昔の姓で呼ばれると、知らない誰かのことのような、もう自分ではないような気がするのです。
リンク
・窯焚き日誌 https://www.kumado.net/bols/
・茶花山荘 https://www.kumado.net/chabana/
・和漢朗詠集 書のコンクール https://www.wakanroeishu.org
・姚遠『平和の勝利』 https://www.flickr.com/photos/barbery/830522667/in/album-72157601753360535
・kuma という名前について https://www.kumado.net/kuma/
第5回 書の間
――書の間(shonoma)は、どのように生まれたのですか。
書の間は、何年も前に私がつくった千字文のモジュールと、印をつくるモジュールから生まれました。ですから、実はずいぶん前からある考えなのです。自分だけの千字文を生成するという考えは、十年以上前にさかのぼります。百人一首の翻訳も、かるたや変体仮名との出会いも、やはり十年以上前のことです。いくつものモジュールをもつサイトとしての書の間は、一度に生まれたのではありません。2008年から日本で過ごしてきた時間の、ひとつひとつの発見と驚きの積み重ねなのです。
――書の間は、おひとりでつくっているのですね。
はい、この企画は私ひとりでやっています。そして、人に知らせることは得意ではありません。書家の方々の世界にも、このモジュールに関心や価値を見いだしてくださりそうな日本の方々にも、伝手がまったくないのです。試してみて、感想を聞かせてくださる方を見つけたいと思っています。少しずつ道具を磨き、もっとよいものにしていくために。どんな応援も、どんなお力添えも、ありがたく受けとめます。
――なぜ本や講座やアプリではなく、ブラウザで使う道具なのですか。
いちばん普遍的で、いちばん管理しやすく、育てやすいやり方だから、というだけです。実は私は、毎日のようにどれかのモジュールの新しい機能を考えています。アプリにすると、更新のたびに審査を通さなければならず、とても時間がかかります。そして私はいつも、自分の創作のための時間が足りないのです。スマートフォンでもタブレットでもパソコンでも表示でき、簡単に更新でき、育てていける道具にしようとすれば、おのずとブラウザで提供することになります。ただ、いつかこれらの考えのいくつかを、本のかたちにすることもあるかもしれません。
――道具をつくるとき、最初に思い浮かべるのは誰ですか。
まず自分のこと、自分に必要なもの、ずっとほしいと夢見ていたものを考えます。それから、それをほかの使い手、ほかの学び手と分かちあう喜びを考えます。ですから、これは先生が教えるためにつくった道具ではありません。自分で学ぶ人、独学の人のためのものです。もちろん同じ道具を、学校の授業や書道教室で先生が使うこともできます。書をたしなむ外国人はとても少ないので、すべての道具は、まず日本の方々に向けてつくっています。
――日本の小学校には、ライセンスを無料で提供していますね。なぜですか。
大人になってから、子どものようにいろいろな形や道具や、日本の書の歴史のさまざまな要素を学ぶうちに、書には、遊びながら、美しく、心をはずませて学べるやり方があるのだと気づきました。それで、字を習いはじめたすべての子どもたちにこの道具を知ってもらいたいと考え、この無料ライセンスの仕組みをつくりました。私のただひとつの目的が書を広めることだと、示すためでもあります。
――日本の子どもに、何を知ってほしいですか。
ここには、地球のほかのどこの子どもたちにもまったく馴染みのない美しさがあること、そして自分たちがとても恵まれていることを、わかってもらえたらと思います。もちろん漢字を覚えるのは、漢字を使うどの文明にとっても骨の折れることです。けれども同時に、この文字の体系の美しさはとても強く深く、知らず知らずのうちに、魂と世界とのかかわりの中に刻みこまれていきます。それはこのうえない幸運です。この学びを、この美しさの発見を、遊びのように楽しくする道具を差し出すことは、私にとって、その幸運の感覚をよびさますことです。楽しく、不思議なものに、書の驚きに、ふれられるように。
――デジタルを警戒する書道の先生には、何と言いますか。
先生のおっしゃるとおりです、と答えるでしょう。デジタルは、ある意味で、書に親しむ営みが減っている原因のひとつです。けれども、日本に住んでいなければ、小さな村に住んでいれば、書道用品の店や市に通っていなければ、まったく手に入らない道具がたくさんあるのです。
書の間は、手と筆と素材の仕事を、さらにデジタルの側へ押しやろうとするものではありません。むしろ逆に、いつもポケットに入っている道具、たとえばスマートフォンで、手で書くことを助けようとするものです。デジタルは書をおびやかすものではなく、反対に、その営みを広める道具にもなりうるのです。
――デジタルの道具は、筆で書く助けになるのでしょうか。
ピアノをつくる人は、音楽をつくるのでも、音楽家をつくるのでもありません。道具は、芸術をつくるために使われるものです。書の間の道具はすべて、使われるため、あるいは、書くこと、線で遊ぶこと、美しさと戯れることへと誘うためだけにあります。たとえ自分の手で書いた線でなくても、コンピューターを使っていても、ありうる形を前にして心が動く、その感覚にもう一度ふれることが大切なのです。たとえそれが自分の腕前を超えた形であっても。ある書風で書く腕前がなくても、その書風の美しさに心を動かされることはできます。心惹かれる書風を自分では書きこなせなくても、それで遊び、手を加え、変化をつけることを、コンピューターは可能にしてくれます。それは悪いことではありません。むしろ、そうでなければ手の届かない喜びに、手が届くようにしてくれるのです。腕前の巧拙は、感動を感じとる力とも、それを表す力とも、関係がありません。
――なぜライセンスを有料にしたのですか。
道具そのものは、誰でも無料で、好きなだけ使えます。ライセンスは、作品を保存したり、ほかの道具へ送ったりするためのものです。
すべてのモジュールを無料にすべきかどうか、考えました。以前、いくつかのサイトで公開していたモジュールは無料でした。でも無料だと、価値がないという印象を与えてしまいます。価値のないものを使いたいと思う人はいません。道具の可能性と価値を大切にしたいと考えて、ライセンスを用意することにしました。無料の演奏会に行くのと、お金を払って席をとるのとでは、同じ体験にはなりません。
この企画の目的は、まったく商売ではありません。めざしているのは、大勢に届くことよりも、この道具を本当に必要としてくださる方に届くことです。たとえそれが数十人であっても、美しさと喜びを生み、書の世界がいまも生き生きと分かちあえるものだと示すこと、この驚きを分かちあうことこそが、書の間のただひとつの目的なのです。
道具がよいものなら――無料で試せるので、確かめるのは簡単です――ライセンスを買うのも自然な流れになるでしょう。逆に、多くの方に知っていただいたあとでも応援がひろがらなければ、それは道具がまだ十分によくないということです。そのときは、もっとよくするために力を尽くします。
リンク
・書の間のライセンス https://shonoma.com/licence/
第6回 しょのま家
――なぜ、漫画に描かれた家族なのですか。
モジュールが増えてきたころ、試してくれた知り合いたちは、書にかかわりのある人でさえ、みな同じことを言いました。機能が多すぎて怖くなる、というのです。使い方やその道具でできること、その可能性を見るかわりに、ボタンだらけの画面を前にして、使うのが怖くなってしまう。
そこで、何ができるのか、それぞれの道具が実際に何に使えるのかを目で見てわかるように、ひとつの家族のいろいろな使い手を漫画で描くことにしました。そうすれば、迷っている人や少し腰が引けている人にも、書の間にできることが伝わるだろうと考えたのです。ひとりひとりは、水尾の人や、私が出会った人から一部を借りていますが、もちろん架空の人物です。私がめざしているのは、戯画化された人物ではなく、本当の人柄をもった、愛すべき人物たちをつくることです。それも、ただ書の間を宣伝するためではなく、私の愛する書の美しさのさまざまな面を描くために。彼らの物語は、これから定期的に発表していくつもりです。
――お父さんの名前は献(けん)。なぜですか。
王羲之は私にとっていちばん大切な書家なので、当然その生涯にも関心をもちました。そして、その息子の王献之が長いあいだ父親よりも有名で、もてはやされていたと知って、とても驚きました。けれども人々は、父の書の形の枠組みを知っていたからこそ、献之の天才を味わうことができたのです。そして時がたつにつれ、千字文をめぐる皇帝の選択とともに、残ったのは古典の形と、父の名でした。
面白い話だと思います。書の制約の問題、つまり基本の規則と、その変化とのあいだの問題をよく表しているからです。基本を知っているからこそ変化を味わうことができる。そして変化は、どれほど天才的なものでも、それだけで立つことはできず、基本を踏まえていなければならない。
規則と伝統と、新しいものの出現との関係。それはおそらく書の悲劇であると同時に、書の美しさのひろがりでもあり、その緊張の核心そのものです。だから王献之という人物は、象徴として興味深かったのです。
――男の子の敏(とし)は?
私の大好きな日本人のひとりが、志村けんです。ザ・ドリフターズの昔の番組の再放送で、テレビで知りました。志村けんは、信じられないほどの天才だと思います。その天才は、もちろん人物をさっと戯画にしてみせる力、意地悪さや愚かさ、でもやさしさも見せる力にあります。でも何より、動きの天才です。ドリフターズのなかでも(たとえばいろいろなオープニングで)、彼の動き方をほかのメンバーと比べると、いつも彼だけが、まったく独特の動きの芸をもっていて、阿波踊りの、いちばん年季の入った古老の踊り手たちを思わせるのです。
この動きの芸は、書と関係があるのではないかと思います。流れるようであること、曲線を描くこと、そして同時に、ある瞬間に、切る、断ち切ること。西洋に同じような動きの天才がいるかどうか、私にはわかりません。もちろん偉大な動きの天才はいます。無声映画の巨匠たち、ミスター・ビーン。でも志村けんには、私を魅了する動きの有機性があるのです。だから私は、登場人物のひとり、男の子を、彼と結びつけたかった。そしてもうひとり、三船敏郎とも。黒澤明の映画でも、それ以外の出演作でも、彼もまた独特の動きの芸をもっています。この二人が、同じ書風と結びつけられるのかどうか、知りたいところです。
――おじいさんは、硯石が好きなのですね。
昔は、いまはもうない習わしがありました。愛宕に参詣した人たちが、お土産に人形硯、人の形をした硯を持ち帰っていたのです。亀岡のあたり一帯には、とくに刀を研ぐための砥石の鉱脈があるように、硯石の鉱脈もあったからです。この習わしは消えてしまいましたが、水尾の家々には、いまもこの黒い石をもっていることへの、ある誇りが残っています。
そして茶花山荘には、ほかにない特徴があります。こんなふうにつくられた家は、日本中でここだけだと思います。床の間の床板が、愛宕山から切り出した黒い石の板でできているのです。つまり茶花山荘の床の間は、硯石でできているのです!
私はこの考えがとても好きで、そこから、よい硯石とは何かを考えるようになりました。なめらかで、水を通さず、それでいて墨をすれるように、細かな鋒鋩(ほうぼう)がなければならない。そこで二つの問いが浮かびました。硯石の黒はどこから来るのか、そしてその鋒鋩はどこから来るのか。調べてみると、黒は炭素から来ていることがわかりました。この石は堆積によってできたもので、もとは海の底にあったのです。およそ二億年前の海で、長い年月のあいだに藻が死んで沈み、炭素に変わりました。そして、ケイ酸の硬い殻をもつ微小な生きもの、放散虫が、死んで海の底に積もったのです。石は重く、命のないものと思われがちですが、実は気の遠くなるような年月にわたる生きものの積み重なりなのです。生命でできた硯石。この象徴としての美しさに、私は心を動かされます。そして、この生命でできた床の間を、できるだけ多くの人に見ていただきたいと思っています。
リンク
・茶花山荘の床の間の前で尺八を吹く(動画) https://www.youtube.com/watch?v=KGuoXSQEZhg
第7回 道具を、ひとつずつ
――印をつくる「篆の間」は?
書の物としてのあらゆる面、紙や筆や印に、そして古い印の線と形の自由さに、私はずっと心を惹かれてきました。篆刻家たちの天才に打たれるあまり、印を彫る機械まで買ってしまったほどです。小さな、機能の限られたソフトがついた機械でした。書の間の印をつくるモジュールは、この経験から生まれました。それに日本では、印を専門家に注文することはできても、自分で変化をつけながら印をデザインすることは、ふつうはなかなかできません。書の間なら、誰でも自分の印をつくって、手彫りしてくれる篆刻家に送ることも、いまの技術を使って、とても手ごろな値段で機械で彫ってもらうこともできます。
――千字文の「千の間」は?
十年前、私は千字文を生成するプログラムをつくり、あるウェブサイトで一年あまり動かしていました。書の間にあるのは、その第二版です。第一版はとうとう完全にはうまくいかず、本当に千の異なる字を生成することはできませんでした。このモジュールは、これからも育てていきます。ひとつひとつの言葉に結びついた美しさに、その意味の次元に、もっと近づけるようにしたいのです。
――変体仮名のかるた、「仮名の間」は?
このモジュールは、百人一首の翻訳の仕事と、下の句との出会いから直接生まれました。取り札に書かれる百人一首の下の句は、誰かが手で書くとき、変体仮名と文字の配置とで遊ぶ場になります。どの札もできるだけ見分けにくくなるように。変体仮名と配置のさまざまな可能性をワンクリックで生み出せば、既存の手本を写すのではなく、自分だけの百人一首のかるたをつくりたい書家の方々に、ひらめきを届けられるかもしれません。
――「色の間」は?
コンピューターの世界では、もともと結びつけるつもりのなかった機能を組み合わせることで、思いがけずよいアイデアが見つかることがよくあります。いろいろな色の組み合わせ(色の違う何枚もの紙)を重ねてみると、ほかでは見たことのない、市販の印刷された色紙にはきっとない、色の豊かさと深さが生まれることに気づきました。
自分の作品の印刷を、ワンクリックで簡単に注文できる仕組みも見つけたいと思っています。もちろん、スマートフォンやタブレット、メモリーカードを持ってコンビニに行けば印刷はできます。でも、厚手の色紙や、和紙に刷った色紙を届けられる方法を見つけたいのです。
――「升の間」は?
書の間のいろいろな道具のなかで、私は書の実用的な面も忘れていません。ここでは、伝統的な寸法でも好きな寸法でも、升目の入った下敷きをつくることができます。般若心経の写経用のものまで。こういう道具は、ほかにはないと思います。
これは私の好きなモジュールです。升そのものが、書の基本の要素のひとつだからです。形は、その枠があってはじめて存在し、枠の形が字の形を生みます。升が正方形か長方形かということには、ある意味で恣意的なところがあります。だから、升を変えることで、いろいろな種類の書を生み出せる道具もほしかったのです。
――家紋の「紋の間」は?
日本ならではの美しさのひとつは、家紋です。そして家紋が、定規とコンパスでつくられていること。日本で、はっきりと円と結びついた数少ない形のひとつです。書に見られる対称のくずしの影響で、日本の伝統的な形や芸術では、完全に対称な形はとてもまれです。家紋は、対称を軸に組み立てられた数少ない形のひとつなのです。こうして円で象徴を組み立てていく美しさに、私はずっと魅了されてきました。だから、既存の家紋を集めた図鑑ではなく、家紋の生成器をつくりたかったのです。
いまでは、自分の家の家紋を知らない日本の方に会うことも珍しくありません。ほかの誰ももっていない家紋を自分でつくれるのは、楽しいことです。
――角字の「角の間」は?
家紋には、角字でできたものもあります。それで、印をつくるのにも使える、角字の生成器がほしかったのです。
――「粋の間」は?
日本に来るずっと前に読んだ本があります。九鬼周造の『「いき」の構造』です。京都の粋(すい)とは違う江戸の「いき」は、けっして交わることのない平行線によって、交わらないものの悲劇的な緊張を生み出します。それは織物や染物の中に見られますが、いまの服にあまり生かされていないのが残念です。
――「源氏の間」は?
香道で源氏香之図の存在を知ったとき、源氏物語のひとつの帖と、誰かに伝えたい気持ちとのつながりは、花屋で選ぶ花の花言葉のように、とても深いものだと思いました。文学と香と詩と、目に見える形とが、ひとつに結びついているのですから。南禅寺近くの野村碧雲荘には、能舞台の裏手に源氏香の図があり、野村徳七はなぜこの図を選んだのか、という謎が残っています。それも、この企画を思い立ったきっかけのひとつでした。百人一首を訳したあと、何年も前からやりたいと思っていたものです。ようやくこれを形にできて、とても満ち足りた気持ちです。
――自分だけのフォントをつくる「字の間」は?
自分だけのフォントをつくるモジュールは、まだ不完全です。私が思い描いているようなモジュールをつくるには、技術がまだ十分に追いついていないのです。私が思い描いているのは、たとえば昔の名筆の一ページの写真から、その書風でフォント全体をつくれるモジュールです。それがこの道具のめざす先です。まだそれは完全には実現できないので、まずは字のいろいろな寸法を調整できるスライダーをたくさん用意し、フォントをまるごと組み立てられるようにするところから始めました。
――言葉遊びの「駄洒落屋台」は?
言葉遊びのモジュールは、フランス語の道具を日本語にしたものです。1995年に思いつき、2000年代のはじめに、フランス語の私のサイト「le barbery」でプログラムにしました。ひとつの言葉の中に、ほかの言葉が隠れていることがあります。ひとつの言葉を、それぞれがまた言葉になっている音のかたまりに分けられることがあるからです。フランスのラッパー、MCソラーを聴いていて、この考えを思いつきました。そしてこれは、おじいさんや男の子が笑う、たくさんの駄洒落の仕組みでもあります。私もこれが大好きで、よく笑ってしまうのです。
――結局、書の間は何のためにあるのでしょう。
驚きに、魔法に、日本の書の美しさの、ほかにない深さに、ふたたびふれるためです。
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